震災当日から数日間
東日本大震災が発生した3月11日
14時46分、M9の大地震が東日本を襲ったその時、当院は通常診療中でした。外来にはいつものように沢山の受診者、病棟にもお見舞いの方が大勢居り、附属のデイケアサービス、隣接する薬局にも普段通り多くの方々が利用していました。そのため最初に私たちがとった行動は、施設の安全と入院患者さんの安全を確認しながら、全ての方を院内の安全な場所へ誘導することでした。しかし、非常に強い揺れの為に医療機器の故障や配管の破損が生じ、一時的に使用不能となった病棟もありました。詳細は下記にまとめましたのでご覧下さい。
地震直後より地域全体の電気・水道・ガスが全て停止しました。仙台港の石油コンビナートでは火災が発生し大量の黒煙が立ち上り、地域の防災無線からはけたたましいサイレンと津波の警報が繰り返し鳴り響いていました。
「宮城県沖地震がとうとうやってきたか!」と誰もが考えながら、1時間後には多数の傷病者が病院へ押し寄せてくることを想定して行動を開始しました。坂総合病院災害モードの開始です。毎年行っている災害訓練と同様に、地震の直後の14時52分には災害対策本部の設置とトリアージ診療体制を整えました。全ての出入口は病院正面玄関のみとし、ここで全ての傷病者の重症度を判断しました。軽症者はリハビリ外来待合室、中等症者は外来リハビリ室、重傷者は救急室へ移送して初期治療を開始しました。
病院のライフラインも全て止まりましたが、すぐに自家発電へ切り替わりました。しかし発電用の重油の備蓄は20キロリットル程度で、暖房設備を使うと7日ほどしか持ちません。雪が降り積もり冷え込みの強い毎日でしたが、地震と津波による甚大な被害を考えるとライフラインの復旧に時間がかかることが予想されました。そのため暖房を止めての運用としました。それでも最大10日間までが限界でした。一方、水道については井戸水を利用していため、自家発電による汲上ポンプが稼働している限りは使用可能な状態でした。また平時よりガスを利用しない病院設計でもありました。それゆえに重油の確保が一番の課題でした。
また、情報通信にも大きな支障がでました。震災直後から一般固定電話は使用不能となり、携帯電話・PHSも通話困難となりました。メールだけが何とか利用可能な状態でしたが、数時間後には全ての携帯電話・PHSが使用不能(圏外)となりました。かろうじてワンセグによるTV受診とラジオだけが外界の情報を掴む手段でしたが、外部とのコンタクトを取る手段を失った当院は孤立状態に陥ったのです。
それでも地域災害医療センターとしての役目を果たすべく全職員が走りまわりました。次々と来院する傷病者、自力で病院にたどり着く者、自家用車で運ばれてくる者、救急車はもとより、消防車、自衛隊車両で運ばれてくる者もいました。当然、救急隊との連絡も取れない状況でしたので、救急隊は「とりあえず坂総合病院へ運んでみる」方針、私たちは「全例受入るよう頑張る」方針で最大限頑張りました。最大で一日50台以上の救急車が運ばれ、これは通常の7倍以上となります。
当然ながら1日200人以上の傷病者全員を受入れて、40人以上の入院治療を行うためには相応のスペースも必要になります。そのため施設内のあらゆる所から傷病者を寝かせられるようなマット、シート、テーブルなどをかき集めてきました。病床数も災害モードとしてオーバーベット運用としました。傷病者が入院する場合は事務員やリハビリスタッフの方達が人力で10階まである病棟フロアへ搬送しました。
さらに傷病者ではないものの災害弱者として特別な対応を必要とする人たちもいました。妊婦者、人工透析患者、在宅酸素療法患者、在宅人工呼吸器装着者などの方達です。地域の産婦人科クリニックや透析病院が地震や津波で被災したことも影響していました。この方々は傷病者ではないもののライフラインの止まった自宅で生活を続けるのが困難なため、産婦人科医、呼吸器科医、麻酔科医、泌尿器科医が中心となって対応しました。
一方、食料問題もありました。入院患者分については数日間の食料が確保されていましたが、職員分はありません。そのため病院内の菓子類も含めたあらゆる食料をかき集め、自宅が近くの人は自宅食料を持参してきました。文字通り「食い繋ぎながら」医療活動を続けていました。
また、医薬品の枯渇問題もあり、平時のような消費量では数日で枯渇する医薬品もあるため、使用に際しては先の事も考えて慎重に判断しました。この件に関しては薬剤師が奮闘して医療活動を支えてくれました。
その他にも様々な局面であらゆる職種の方々が、家族の安否状況も分からないまま数日に渡って業務に携わりました。
傷病者への対応
震災直後からのトリアージ期間中は、震災で帰るところを失った傷病者へ「帰宅待機室」として生理検査室を提供しました。また、停電の影響で自宅生活が不可能となった在宅酸素療法患者に対しては、酸素療法を受けることができる手術回復室に10床の「入院病床」を緊急配置しました。これらを含めて許可病床数357床に対して、災害モードとして400床以上に増床して対応しました。
看護師は通常の3交代勤務から2交代勤務へと変更して対応しました。
この間の当院の統計は3月の「一般外来統計」、「救急要請統計」、「死亡者数統計」をご参照ください。